2014年3月6日木曜日

アンドロイドはグーグルグラスの夢をみるか?

ということで(どういうことだ?),いま,一部で話題になっている人工知能学会の雑誌の表紙問題について。よく知らない方はリンク先が手短にまとまっているので,ご覧ください。前号の女性型アンドロイドの表紙についての賛否の意見はいろいろあって,女性差別はいかん,いや,これくらいでカリカリするな,いやいやなにを言っとる“これくらい”と潜在意識的に差別するのがけしからんのじゃ,いやいやいやアンドロイドが女性であるというだけで差別というあなたの心のなかに本当の差別があるのです,などと,まあ予想される展開になっている。ナカムラは,これについてはとくに強い意見はないが,ある程度公的な出版物なら不快に感じるひとがいる表現は避けたほうがいい,という程度のことは思う。あと,この件に限らず自分と違う意見のひとに対して,喧嘩腰になるのはよろしくないと思います。

それに対して,「アンドロイドの視点から」として描かれた最新号の表紙についてはきわめて問題ありだと思う。その理由は女性差別とはまったく関係なく,アンドロイドが光を感知するデバイスから情報を得てるときに,この表紙のような絵柄はどの段階でも存在しないだろうということだ。だって,このような絵柄はたとえばグーグルグラスのような人間向けのヘッドマウントディスプレイでしか意味がない。視覚をはじめとする人間のインターフェースが極めて限られているため,しょうがなく必要な情報を視覚情報に重ねて表示しているだけなのである。

以前にどっかで(って多分このblogしかないが)書いたが,映画“ターミネーター”でのシュワルツェネッガー扮するアンドロイドの視点から写したシーンはおかしい。画面の端のほうに「敵の数**名,死者数**名」みたいな文字が出てくるのだが,他のセンサーで感知した数値情報をわざわざビットマップで文字の図形に変えて視覚情報に重ねて書くなんてありえないだろう。いきなりCPUにインプットすればいいのだ。

と考えると,もしアンドロイドならこの表紙の絵のような認識ではなく,… このような絵柄ではなく,… あれ,どうなるんだろう? 真面目に考えると空間図形を認識するというのはどういうことか,というなんやらわからん問題を深く掘り下げなければならなくなるような…。いま,あなたと私が見ている三角形が,あなたと私の脳の中で同様の表象であるという保証はどこにあるのか,というハイパーむつかしい問題とか,からんできそうだ。

たとえばSFでよくあるように,「げげっ,他人の体に自分のこころが乗り移ってしまったっ!」なんてことになったときに,ちゃんと世界が認識できるのか,なんて疑問がでてくるのだが,これはできない可能性が大きいと思う。いや,だめでしょう,だって,たとえばある程度相談して互換性が有るように規格をつくったコンピューターの画像情報ですら,gifとかpngとかjpegとかいろいろあるのに,人間の場合は互換性をとるなんて考えてないのだから,目からの情報を人それぞれ違うように処理しているのではなかろうかと思われる。

うーん,そんなところまで考えてるとすると,この表紙は人工知能的に奥深い。恐るべし人工知能学会。