2011年8月5日金曜日

くだらない人生の贅沢

昨日,こども手当が廃止になるというニュースがあり,また,原発事故の話題も「子供の命を守る」というのが,大きな争点だったりして,立場の違いこそあれ,子供を大切にしたいというのは現在日本のマジョリティーの意見であろう。先日も小学校低学年のお子さんをもつ親と雑談をしていたら,「福井にいると放射線の影響などないとわかっているけど,子供の寝顔をみてると『ひょっとしたら』と不安になる」というようなことを言われてた。その心情はよくわかる気がする。

で,親が子供の幸せを願うのは素晴らしいことだし,そういう親が子供にできるかぎりのことをしてやりたいというのは当然だと思うが,これが「あなたには最高の教育と理想の家庭環境を与えたのだから、それに応えて最高の人間になってちょうだい」という話になると、子供にとってはちょっとしんどいなあ、と感じるのではなかろうか。とくに、「最高の人間」というのが、いわゆる世間的に「偉い」人、たとえば、「いい」大学を出て「一流の」会社に勤め、「エリート」としての人生を、という感じになるとちと困る。もちろん、理想の家庭で最高の教育をうけた子供が,親の期待に沿ってエリートになって、理想の配偶者と出会い、素晴らしい家庭をもち、さらにエリートの再生産をしていく、というのであれば、それはそれでハッピーである、ちょっとムカつくが。

しかし、世の中、そううまくいくもんでもない、運だとか才能だとかの問題で、誰でもエリートになれるわけではなく、往々にしてどっかでつまづくものである。そのときに、親が「そんなくだらない人間にするために,お前に最高の教育を与えたんじゃない」みたいな話になると困ったことになる。子供の方がそれなりに反抗心があって、「パパもママも、僕を愛してるんじゃなくて、僕を愛してると思ってる自分を愛してるだけだ! 僕は自分の人生を自分の生きたいように人生を生きる、くだらない人間上等じゃないか!」というくらいならばいいが、不幸なのは、子供のほうも両親の価値観をそのまま受け継いでしまって、「ああ、こんなに愛されて最高の教育を受けたのに、俺はなんて最低なやつだ」とかいう感じで自分を攻めることになってしまった場合だ。

そうなると、鬱+引きこもり路線まっしぐらになって、親も子供もとんでもない不幸を味わうことになるだろう。思うに、親が子供を思うのは、最終的には子供の幸福を願うことであり、偉い人になってエリート路線を歩むのはその手段にすぎない。しかし、往々にしてあるように、手段と目的が混同してしまって、なにがなんでもエリートにならなければみたいな話になるとしんどいなあ、と思う。理想の家庭に生まれ、最高の教育をうけて、最低にくだらない人生を送る自由もあっていいのではないか。ある意味でとっても贅沢な人生である。そして,それを認める親が最高の親だ。死ぬときに、「俺の人生は人様からみたら、たいしたことないくだらないものだったが、でも幸せだったよな」と思えるのも素敵な人生で、親も本当はそういうのを望むべきだろう。