Farewell to Reality: How Fairytale Physics Betrays the Search for Scientific Truth (現実乖離:おとぎ話物理学の欺瞞 [ナカムラの仮のタイトル訳です] )という本を読んだ。ざっくり言うと,素粒子物理学は1970年代まで着実に進歩して世界の基本原理を探求し続けてきたが,そのころにいわゆる標準理論が完成してからは失速して,それ以降の主流になった超弦(スーパーストリング)理論は,仮定の上に仮定をかさねた末に実証実験可能な予言をひとつも出しえない「おとぎ話」になってしまった,なにやっとんじゃボケ(ざっくりしすぎだが),という内容だった。そして根拠の薄い仮説のくせに,さも確証があるように,空間が26次元だか11次元だかで,宇宙が10の500乗通り存在して、みたいな話を世間にPRするのはけしからん,と著者は憤慨していた。
ナカムラは超弦理論にはこの著者ほど否定的ではないが,しかし困った状況にあるとは思う。すこし前(と思ったら結構前だった,歳をとると時間がたつのが速いね)に出版された「迷走する物理学」とか「ストリング理論は科学か」とかも同様の主旨であるではあるが,さらに時間がたっても検証可能な理論があらわれず,実験面ではLHCで超対称性に不利な結果がでつつあるなど,事態は悪化している。
これは憂鬱な状況である。18世紀以来、物理の基本原理の探求で30年以上成果がなかったのは初めてではなかろうか? われわれは科学史上例をみない時代を経験しているのかもしれない。物理学の年表をみても、1980年以降の項目の寂しさが目にしみる。自然界の究極理論を求めていた素粒子論の分野は、堂々たる物理学のフラッグシップから、メジャーでではあるがいくつかある重要分野のひとつに後退してしまったように感じる。そしてこのままCERNなどの実験施設で超弦理論に否定的な結果が少しずつ積み重なっていくと、素粒子理論という分野が徐々にメジャーですらない物理学の一分野になってしまうという可能性は否定できない。
もちろん,いま超弦理論をやっている専門家の多くはそう簡単にはあきらめられないだろうから,最後まで可能性をもとめて研究をつづけるだろう。しかし,そういう世代が引退していくと,新しい人材の補給がだんだん先細りになっていくのではなかろうか。自分がいま大学を出たばかりで,あふれんばかりの自信と才能をもっていて,大学院はどの研究室に行こうか,という状況を想像しよう。ひょっとしたら自分の研究者人生をすべてつきこんで,結局なんの結果もでませんでした,という可能性があるのを承知で超弦理論にとびこむのは,かなり覚悟がいる。そして,人生を棒にふってしまう可能性は年々増していっているように思える。
しかし,超弦理論が実は壮大なはずれくじで、別の新理論であっさり解決しました,超弦理論に人生かけたみなさんはご苦労様、it was nice, but now it's gone というのは悲しいシナリオだが、でも,いちばん憂鬱なものではないと思う。いちばん困るのは、実は超弦理論は正解で,そっち方面にしかばね累々の消耗戦をしつづければ最終的に真理にたどりつけたのに、そこに行くまでにひろがる砂漠のあまりの不毛さに,砂漠の向こうに約束の地があることを知らないままで終わる、ということじゃなかろうか。そして、物理学の究極の真理を知ることなく人類がほろびていくというシナリオは悲しい。これからどうなるんでしょうね。
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