2017年10月3日火曜日

色盲

以前書いたかもしれないが,ナカムラは色盲である。いまは色盲と色弱の区別はないらしいが,その区分でいうと色盲で,つまり色弱より偉くて,より色がわからんという状態である。で,先日,友人に子供がうまれたというので,写真のようなプレゼントを送った。で,ナカムラは白かと思っていたら,実はピンクだそうで,赤ちゃんは男の子だったのでピンクはちょっとね,という次第。友人は気のいいやつなので,ピンクでもこだわらないと言ってくれたが,ちとまずかったかな。




ということで,色盲って実はそこういうときに不便だよ,という記事を書こうと思ってネットを調べみたのだが,たとえば「色盲+こう見える」とかで検索すると,いろいろ比較画像がでてくる。たとえばここでならべられてる画像は,ナカムラには全く同じにみえる(45番以外は)。寿司がまずそうとかコメントがあるが,子供のときからこの色に見える美味しい寿司をたべてるので,とっても美味しそうに見えます。

で,さらに調べると,こういうページをみつけて,だいたい言いたいことはに書いてあるではないか。抵抗のカラーコードがわからなくてテスターを使ったところまで同じ。ということでリンクさせていただいて,いっちょあがり。ちなみに焼き肉はほぼ生でもたべるので問題ありません。

…… というのも手抜きなので,ひとつ,前から思ってることを。色盲の友達(わりといる)と色盲談義になると,「千円と五千円ってみわけつかないよね」とかでもりあがるんだが,子供の頃,色盲だったからいじめられたという話も結構きく。しかし,ナカムラは色盲関連で悪意ある言葉をうけた記憶がほとんどない。

これはいい友達に恵まれたなあ,と思っていたのだが,ひょっとしたらいろいろ嫌味をいわれたがニブくて気が付かなかっただけかもしれん。まあそれはそれで幸せだ。しかし最近,思い当たるのは,よく身の回りのものを指さされて「じゃ,これは何色にみえる?」といわれたり,「色盲って赤は赤にみえるの?」とかきかれるのに答えるのが面倒くさかったことはある。

これは,悪意がなくても,ひとによっては不愉快ではないかなあ。たとえば,足が悪い人に「足が悪いと,どんなふうに歩くの? ちょっと歩いてみて」とは普通言わないだろう。色盲は足と違って世間にあまり知られてないので,気づかずに純粋に好奇心からきくのかもしれなうが,きかれる側からすると悪意を感じる場合があるのかも知れない。

ということで,色盲に「どう見えるの?」ときくときは,相手との関係性とかを十分考慮してください。とくに,しつこく何回も「じゃ,これは何色?」とかきかれると,さすがにいやになります。

最期に,ひとつ。まだ色盲だと理科系の職業につくのは不利,というような話があるようですが,すくなくともナカムラのような物理系だとまったく問題ありません。抵抗のカラーコードはテスター使えばよろしい。ということで,色盲の若者もどんどん理科系に行こう!

2017年3月21日火曜日

Scrapboxで数式を

同業者(数理系研究者)のみなさんは,ちゃんとした論文での数式なら LaTeX やワープロの数式エディタを使って,数式表現の処理方法は確立していると思う。でも,ちょっとメールで議論したりするときや,ネット上の簡単な紹介ページに数式をいれたりするのは,いちいち PDF にして公開するのも面倒くさい,と思いませんか?

最近,かの増井さん(*)が ScrapBox という便利サービスを始めたので,ダメもとで「数式もなんとかして」とお願いしてみたら,@shokai さんが実装してくれた(もともと計画があったのでしょうか)。めちゃ便利。で,さっそく書いたページがこれ。まだ使い始めなので,全貌は見えてないけど紹介を。

  1. 多くの数理系研究者の間で標準仕様の LaTeX 書式を知っていれば簡単に数式がいれられる。
  2. 入力結果は段落ごとに整形してくれるので,コンパイルせずにすぐに数式が読めて,WYSISIG に近い操作感。
  3. 数式に関しては LaTeX のソースがそのまま残っているので,コピーペーストで LaTeX ファイルに移動すれば,そのまま本番の論文に使える。(そのうち sb2tex ってフィルタができるんじゃなかろか。)
  4. 同一ページを複数の人間で編集できるので,共同研究者などとネットを介して議論が容易。
とくに,下書きなどせずに数式を書きながら考える派の人にとっては,2のすぐに数式が読めるのはとてもありがたい。自分はノート上で計算してだいたいあたりをつけておいて,WYSIWYG的エディタ(LyX使ってます)で計算しながら文章を仕上げていくスタイルなので, emacs なんかで LaTeX のソースコードを書くのは苦手だった。だから,出先で自分の環境が使えない場合などは泣く泣くソースコードを編集していたのだが, ScrapBox はブラウザさえあれば使えるのでとっても便利。

数式以外の便利な点はネット上にいろいろレポートあるので探してみてください。同業者のみなさん,是非おためしあれ! 





(*)みなさんが毎日お世話になっている携帯の予測変換をはじめた(チャーリー・クリスチャンがエレキギターをはじめたという意味で)のが増井さんです。実は大学時代の先輩で,いっしょにバンドやってました。

2017年3月1日水曜日

エントロピック重力と角運動量温度

物理関係の話題なので,興味のないひとはすみません。

最近、科学ニュースでエントロピック重力理論なるものを目にしたことがありませんか? たとえば、この記事とかこの記事とか。こういうのを読むと、なにか画期的な新理論が提案されて物理学の歴史が変わるんじゃないか、みたいな印象をもつが、詳しい人(東北大学の堀田さん)の解説を読むと、まだアイデアのアイデアって段階で、「根拠の確立していない多数の仮説を沢山組み合わせて、観測と比べられる量を同定しているだけ」というそうだ。

で、ちょっと興味があったので原論文を読んでみたのだが,やっぱり“???”って感じ。堀田さんに twitter で少し教えてもらったのだが、疑問は深まるばかりで、これって結構ヤバいんじゃなかろうか、と思った。元論文では,一つ質点からの球対称の重力がある場合を考えて,球面上での温度(ってなんの温度か釈然としないという問題もあるけど)から逆自乗則を出してるけど,ふたつ離れた質点があった場合の間の点でのは温度はどうなるの?

などなど,いろいろと疑問ありまくりで,批判の論文など出てるようですが,ここではそれはおいといて,元論文でも使われている Unruh 効果の温度が加速度に比例するという式 kBT = ha/c (元論文の (3.8) 式,堀田さんの解説の (1)式)について思ったことを。

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堀田さんの別のページの解説にもあるが,重力(あるいは慣性力)がある場合の熱平衡状態は,相対論効果を考えると場所によって温度が違う。ザクッというと,相対論では「質量=エネルギー」なので,エネルギーにも重力がはたらいて“下の方にたまる”から,普通に温度を計ると下のほうが熱くなる。同様に回転する円盤は遠心力で中心より縁のほうが熱くなる。

でも,ちょっとこれは気持ち悪くないですか? 熱平衡というからには,その状態は少数の熱力学的変数で一意に決まってほしいわけだが,連続分布する温度,つまり無限個の実数で熱力学的状態を指定するのは,おさまりが悪い。実は重力や加速がある場合でも,熱力学的状態を指定するのに連続分布を決める必要はなく,分布のパターンが少数の数で与えられる熱力学的外部条件で一意に決まることが知られている。

では,相対論効果を考えて局所的な温度が場所によって変わる場合も,大域的な温度みたいな熱力学変数をひとつ導入して,状態を指定できないだろうか? 数年前からさかんに(*)研究されている角運動量温度というものを使えば,これはできる(はずだっ)。

考えてみれば,熱統計力学でエネルギーに対応して温度を導入したとき,本質的に必要なエネルギーの性質というのは,それが保存量であるということである。ということはエネルギーの他の保存量に対応して温度が存在してもいいわけだ。実際,保存量である空間3方向の3つの運動量に対応して温度が存在し,その逆数がエネルギーに対応する温度の逆数(逆温度)と組んで4ベクトルをなすという理論は,相対論熱力学業界というマイナー業界では,よく知られている(**)。

そこでナカムラは考えた。並進の対称性からくるエネルギー・運動量の4つの成分に対応してそれぞれ温度が定義できるのなら,回転の対称性からくる角運動量にも温度があるのではなかろうか。で,角運動量温度を考えると,非相対論的な場合はあまり面白くないのだが,相対論的な時空4次元ではいろいろ非自明なことがでてくる。

3次元に住むわれわれにとって,回転といえば回転軸を指定すれば方向が決まるが,実はこれは3次元だと平面に垂直な方向がひとつしかないからである。たとえば「xy平面での回転」は「z軸まわりの回転」と同じことだ。しかし4次元だと xy面に垂直な方向は z と,もうひとつ(4次元時空の場合は時間 t 方向)あるので,軸ではなくて回転面を指定しないと,つまり2つの座標方向を決めないと,回転方向は決まらない。

そこで (t, z, y, z) という相対論的時空座標を考えると,xy, yz, zx の3つの他に,tx, ty, tz の面内での回転が考えられるのであるが,このような時間を含む面内の角速度一定の運動は実は等加速度運動になる。ローレンツ変換が時空の回転であることを考えると,一定の角速度で回転するというのは,連続的にローレンツ変換をし続けるということに対応するので,これは納得できる。

で,等加速度運動をしている系(リンドラー座標系という)にのってみると,4次元遠心力として慣性力がはたらいている。この効果として“回転の外側(加速と反対の方向)にエネルギーがたまる”ので,外側にいくほど熱いということになる。そして,このときの熱平衡を特徴づける保存量は,時空回転運動(=等加速度運動)で保存される4次元角運動量だと考えられる。その角運動量に対応して温度が決まるわけであるが,だとすると,この温度は場所の関数ではなく,大域的に定義されたひとつの定数であり,角運動量と同じ次元をもつはずである。

ここでやっと Unruh 効果に戻るわけだが,この効果は Minkowski 座標系でみた量子真空状態を,リンドラー座標系でみると熱輻射に対応するスペクトルがみえるというもの(詳しくは堀田さんの解説参照)である。この温度が上でのべた  kBT ha/c  で与えられるというのだが,リンドラー座標系では加速度 a が場所の関数なので(堀田解説参照),相対論的熱平衡の連続的に変化する局所的温度に対応する。では,大域的に角運動量温度を定義するとどうなるか? 角運動量と同じ次元をもつパラメターはここではプランク定数しかない(このへんはリンドラー系じゃないとちょっと事情が変わる)。そして,実際に分布から大域的な角運動量温度を決めるとプランク定数になる。

……んじゃないかと思うのですが,どうでしょう? そうすると,実は Unruh 効果の輻射スペクトルというのはプランク定数を温度として一意に決まるのではないかと思う。とすると,その式を援用してエントロピーから重力を導出するというエントロピック重力理論はさらにあやうくなってくるのではなかろうか,というのが元論文を読んで考えたことです。識者のみなさんのご教示をお願いします。

(*)実はナカムラひとりが論文を2つ書いただけで,世間的には全くみとめられてない……。Life is a bitch, sometimes. これが本当だとすると,回転する物体から出る黒体輻射は偏光にかたよりがある,という予言をしたのだけど,実験できないかな。

(**)これはナカムラだけでなく,本当に広く知られてます。で,これに関連してナカムラが書いた論文もそこそこ読まれてるみたい。wikipediaから引用されたりしてます。


参考文献

2016年1月14日木曜日

つるかめ、つるかめ。

 最近、twitterで東京姉妹という方をフォローしはじめたのだが、先日、鶴亀算の話題がながれてきた。東京姉妹さんくらいの歳だと、小学校では鶴亀算を習っていないらしいが、ナカムラの小学生時代には旅人算だの鶴亀算だのをやらされたもんだ。説教おじさんは習ったかな? 「鶴亀算を知らない女の子なんかとデートしたいと思うかね。ぼくは思うよ。」とか言いそう(一部の東京姉妹+説教おじさんファンしかわからなくてすみません)。

 で、そこにリンクされている結城さんのページをみると、はじめから連立方程式をつかって解いているが、ナカムラが小学校で教わったのは江戸時代の塵劫記あたり(さらにオリジナルは中国?)から伝わる東洋独自の解法である。こんな感じ。(結城さんのページは無料で読めるところしか見てないので,あとからでてくるのかも。この記事と同じ内容が有料部分に書いてあったらどうしよう。)「同時に家を出ない兄弟」的に「なんではじめから亀の頭数をかぞえんのじゃ!」というツッコミはナシね。

 これらを読んで,塵劫記でも方程式でも,どちらもあまりかわらんやんけ、と思われるかもしれないが、塵劫記の解法に比べて連立方程式を使った解法はあきらかにすぐれている。どこがすぐれているかというと、抽象化されているという点である。方程式解法は、まず、現実の事象  鶴と亀の足の数と頭数  を x と y という変数に抽象化する。そして、亀が足が4本で鶴が2本という事実を数式であらわす。そうしておくと、あとは x, y が亀だったか鶴だったかはわすれて、機械的に数式操作をすれば問題がとける。そして答えが出たら x が亀、 y が鶴ということを思い出して現実にひきもどせばよい。

それに対して塵劫記解法ははじめからおわりまで、亀の足と鶴の足にこだわって、いま自分が計算している数がなにをあらわすかを常に意識して考る必要がある。これには問題ごとに違う考察をしなければいけないので、結構頭を使う。たとえば旅人算になると鶴亀算とちがう戦略を考えねばならない。それに対して方程式解法なら、はじめの現実問題 → 数式のところだけしっかりやっておけば、あとは機械的な作業で答えが得られる。
 え? 方程式の計算って中学のころやらされたけど、かなり頭つかったよ、という向きもいるかもしれないが、実はこのような方程式の操作は単純作業であり、慣れれば機械的にできる(ナカムラはしょっちゅう間違うけど,それは別問題)。つまり「煩雑であるが難しくはない」というやつだ。たとえば自転車に乗るようなもので、はじめは大変だけれど、コツをつかめば頭を使う必要はなく、携帯で会話しながらでも  いや携帯で会話しながらの自転車はあぶないのでやめてくださいね。それはともかく、こういう計算は人間の頭をつかわなくても、自動化してコンピューターで高速に解くことだってできる、自転車じゃなくて自動車でぶっとばすみたいなもんだ。

 逆に、それがなぜ利点なの? 鶴亀算だって簡単に解けるじゃん、という算数得意人もいるかもしれないが、方程式解法の優位性は問題が複雑になればあきらかである。たとえば鶴と亀だけじゃなくて、さらにトンボが加わって、頭の数と足の数と羽の数があたえられたとき、塵劫記的に解こうとおもったらかなり頭をしぼらなければならないだろう。しかし、方程式解法だと、もうひとつ変数 z をトンボのために用意して羽の数を 4z、足の数を 6z にするだけでよい。方程式をとくのはちょっと面倒になるが、単純作業の量が増えるだけで、頭はつかわなくてよい。自転車で走る距離が増えるみたいなもんだ。

 ここで、ネットで見つけた、ちょっとおもしろい例をひとつあげよう。抽象化による方程式解法のありがたさがよくわかると思う。ふつうの算術でなく、論理命題の抽象化の例である。実はわれわれのよく知ってる 5 とか 7 とか x とかをかけたりわったりするという操作だけでなく、数学的にきちっとした操作ならば、いろいろな場合に抽象化・簡単化できるのである。「数学的にきちっとした」というのは、だれがやっても常に同じ操作で同じ結果が(間違えさえしなければ)得られるという意味である。以下の問題を考えてみよう。

ある人物について、A、B、C の3人は、次のように証言した。
  A:「たしか、名前は、大場さんといい、年は、35歳」
  B:「たしか、名前は、小塚さんといい、年は、30歳」
  C:「たしか、名前は、大場さんではなく、年は、40歳」
3人とも、名前、年齢のどちらかは正しいことをいい、どちらかは間違ったことを言っているものとする。さて、ある人物の名前と年齢は、なんであろうか?

これを普通に考えるのは、めちゃ難しい。「ここでA氏が名前をまちがえているとすると、年齢は35歳なのでB氏の言明の真偽は...」などと推論して正解にたどりつくことのできるのは、よほど頭脳明晰な選ばれた者だけだろう。もちろんナカムラには無理である。
 ところが、ブール代数という「数学的にきちっとした」手順をふむと、これは単純操作で答えが得られる。くわしくはこちらを見てほしい。ちゃんと理解しようと思うとなかなか大変だが,単純操作で正解がえられる原理は,ざっと読むだけで納得できると思う。

 ということで、数式というのは実は思考の大幅な節約につながるのである。一旦数式にしてしまうと,あとは中身を考えずに単純作業で答えが得られるのだ。「数式をみるだけで頭がいたくなる、数学大嫌い」と言っているひとは、実は数式になれていないだけで、同じ複雑さの問題にでくわしたときには、数式を使うほうがはるかに楽だということである。
 上にあげた大場+小塚さんの例に、さらに中村さんが名前の候補に加わったとしても、ブール代数の数式をつかえば大丈夫そうでしょ? 自転車に乗る練習は大変だが、乗れるようになったら、自転車のほうが歩くよりはるかに楽で、遠くまで行けるってことだ。

 いや、実は来年度から高校時代に数学が不得意だった学生さんを対象に「数学基礎」という授業をやるので、そのマクラになる話をさがしていたところに、東京姉妹+結城さんの鶴亀算がちょうどいいと気づいたわけなのである。説教おじさんはあまり関係ないけどカメオ出演(?)ありがとうございます。

最後に,授業をうける学生さん+その他みなさんのために,過去に書いたこの手の話題のリンク貼っときます。いつも「次回はいつになりますやら」で終わってるのがご愛嬌。




  • われわれは21世紀を生きているのか?
  • かけざん(2)
  • かけざん(1)
  • 国境の町の6人のガンマン
  • 2015年11月25日水曜日

    売りさばく


    Twitterに書こうと思ったけど,ちと長くなったのでこちらに。収入印紙が必要になって,郵便局以外でどこで売ってるかしらべてみたら「収入印紙売りさばき所」と書いてあった。なんかファンキーな名前だなあ,と思ってさらに調べると,「郵便切手類販売所等に関する法律」とか「郵便切手類販売所等に関する省令」の記述がことごとく「売りさばく」になっている,「売る」だけじゃだめなんだろうか?

    さらに法律・省令を詳細に読んでみると(ひま人だな)切手は「販売」で印紙は「売りさばく」と使い分けてるように見える。なにか深いわけがあるのだろうか? たとえば上にリンクした郵便切手類販売所等に関する省令」の二条では以下のようになっている。
    法第二条及び第十条の規定による郵便切手類を販売し、及び印紙を売りさばく者(以下「郵便切手類販売者」という。)及び印紙の売りさばき人(以下「販売者等」と総称する。)の選定及び郵便切手類の販売又は印紙の売りさばきに関する業務の委託並びに法第十一条及び第十二条の規定による郵便切手類又は印紙の売さばきに関する契約の解除に関する事務は、(以下略)
    この文章は悪文の典型のようだが(法律関係だとこういうのがスタイル?)とくに前半が強力にわかりにくい。「印紙を売りさばく者及び印紙の売りさばき人」? で,解読してみると,多分,「“郵便切手類を販売し、及び印紙を売りさばく”者 及び “印紙の売りさばき人”」となるのであろうか,と思う(なんかコンピュータープログラムのスコープルール解析みたいなのが必要だな)。
    つまり,郵便切手を含む場合は「販売及び売りさばき」をするのでその行為をする「者」として記述している。それに対して印紙の場合は「売りさばく」に限定されるので「売りさばき人」と名詞化しているのではなかろうか? 

    うーむ。で,「売りさばく」で検索してみると,「売り捌く  転売する  たたき売る  投げ売りする  売り飛ばす」が同義語だったりして,なんか「オラオラオラオラー!! はよ買ったらんかい,ワレ!」って売るイメージ。収入印紙にはそぐわない。さらに発見したのは「売りさばく」じゃなくて「売りさばき」で検索すると,なんと,印紙関係のページしか上位にヒットしない。われわれ平均的日本人が思っている「売りさばく」とは別の「売りさばき」が,実は総務省をバックとする一部勢力のあいだで浸透しているのか? だれか舞台裏知りませんか?

    2015年7月10日金曜日

    Fairytale Physics


    Farewell to Reality: How Fairytale Physics Betrays the Search for Scientific Truth (現実乖離:おとぎ話物理学の欺瞞 [ナカムラの仮のタイトル訳です] )という本を読んだ。ざっくり言うと,素粒子物理学は1970年代まで着実に進歩して世界の基本原理を探求し続けてきたが,そのころにいわゆる標準理論が完成してからは失速して,それ以降の主流になった超弦(スーパーストリング)理論は,仮定の上に仮定をかさねた末に実証実験可能な予言をひとつも出しえない「おとぎ話」になってしまった,なにやっとんじゃボケ(ざっくりしすぎだが),という内容だった。そして根拠の薄い仮説のくせに,さも確証があるように,空間が26次元だか11次元だかで,宇宙が10の500乗通り存在して、みたいな話を世間にPRするのはけしからん,と著者は憤慨していた。

    ナカムラは超弦理論にはこの著者ほど否定的ではないが,しかし困った状況にあるとは思う。すこし前(と思ったら結構前だった,歳をとると時間がたつのが速いね)に出版された「迷走する物理学」とか「ストリング理論は科学か」とかも同様の主旨であるではあるが,さらに時間がたっても検証可能な理論があらわれず,実験面ではLHCで超対称性に不利な結果がでつつあるなど,事態は悪化している。

    これは憂鬱な状況である。18世紀以来、物理の基本原理の探求で30年以上成果がなかったのは初めてではなかろうか? われわれは科学史上例をみない時代を経験しているのかもしれない。物理学の年表をみても、1980年以降の項目の寂しさが目にしみる。自然界の究極理論を求めていた素粒子論の分野は、堂々たる物理学のフラッグシップから、メジャーでではあるがいくつかある重要分野のひとつに後退してしまったように感じる。そしてこのままCERNなどの実験施設で超弦理論に否定的な結果が少しずつ積み重なっていくと、素粒子理論という分野が徐々にメジャーですらない物理学の一分野になってしまうという可能性は否定できない。

    もちろん,いま超弦理論をやっている専門家の多くはそう簡単にはあきらめられないだろうから,最後まで可能性をもとめて研究をつづけるだろう。しかし,そういう世代が引退していくと,新しい人材の補給がだんだん先細りになっていくのではなかろうか。自分がいま大学を出たばかりで,あふれんばかりの自信と才能をもっていて,大学院はどの研究室に行こうか,という状況を想像しよう。ひょっとしたら自分の研究者人生をすべてつきこんで,結局なんの結果もでませんでした,という可能性があるのを承知で超弦理論にとびこむのは,かなり覚悟がいる。そして,人生を棒にふってしまう可能性は年々増していっているように思える。

    しかし,超弦理論が実は壮大なはずれくじで、別の新理論であっさり解決しました,超弦理論に人生かけたみなさんはご苦労様、it was nice, but now it's gone というのは悲しいシナリオだが、でも,いちばん憂鬱なものではないと思う。いちばん困るのは、実は超弦理論は正解で,そっち方面にしかばね累々の消耗戦をしつづければ最終的に真理にたどりつけたのに、そこに行くまでにひろがる砂漠のあまりの不毛さに,砂漠の向こうに約束の地があることを知らないままで終わる、ということじゃなかろうか。そして、物理学の究極の真理を知ることなく人類がほろびていくというシナリオは悲しい。これからどうなるんでしょうね。

    2015年6月23日火曜日

    浜松楽器博物館のsystem700

    実はナカムラは今学期,浜松にある静岡文化芸術大学で非常勤の授業をやらせてもらっている。なかなか素敵な大学で,学生さんの雰囲気もいいのだが,ひとつ後悔していることがある。それは,授業の日を月曜日に設定してしまったことで,アナログハーミットドルフィンも月曜休みなんですね。さらに,音楽好きにとって浜松といえば楽器博物館なのだが,これも月曜休み。

    なので,ずっと行く機会がなかったのだが,先週末から東京→豊田市→浜松とめぐる旅にでて,日曜は浜松泊だったので,ついに行ってきました。噂にはきいていたが,迫力ある展示でめちゃよかった。



    世界各国の民族楽器や,いま使われているバイオリンだとかサックスだとかの祖先の展示があって面白かったのだが,電子楽器コーナーに思わず涙ものの展示があった。ローランドシステム700シンセサイザー


    なにを隠そうナカムラはまだ紅顔の美少年の高校生だったころ,このマシンを使っていたのだ。いや,これはちょっと誇張で,もちろん当時数百万円もするシンセサイザーを買えるはずもないのだが,ローランドのショールームに入りびたってさわらせてもらっていた。

    当時,プログレッシブロックが好きで,理科系の少年だったらかなりの確率でシンセサイザーにハマるのだが,もちろんあこがれはキースエマーソンのモーグIII(当時はムーグと言った)だ。しかしこれは数千万もする雲の上のさらに上の存在。ところが1975年にローランドが同様のマシンを数百万円で発売開始して,これも雲の上にはちがいないのだが,いわば低層雲の上で,ショールームでは実際にさわらせてもらうことができた。

    少年ナカムラは通いましたね。まずフロントパネルが写ったA0の大判ポスターをもらってきて部屋に貼り,夜な夜なながめてVCOやらVCFのツマミの配置と使い方をおぼえて,それから阪神電車にのって大阪まで行って実物で音をだしてみるのである。一度いくと二時間ぐらいはねばっていた。

    そんなもんで楽器博物館でひさしぶりに実物をみたとき(「お手をふれないでください」だったのでさわれはしなかった),ひとつひとつのツマミやスイッチの使い方をまだおぼえていた。さらにはアナログシーケンサー(写真の中央上部の部分)をつかってそのとき作った簡単なベースラインまで思い出した。いやー,いいもの見せてもらいました。


    オマケにほかの展示の写真も。これ,トランペットらしいんだがどうなってるのだろう?



    あと,おなじところにあった古いトロンボーンのベルの竜がマヌケ顔でかわゆい。



    昔のサックスってキー少なかったのね。



    ということで,音楽好きのみなさんは浜松に行ったらぜひ楽器博物館へ。あ,書き忘れたけど,さすがにピアノのコーナーは充実してました。惜しむらくは電子楽器コーナーにミニモーグとクラビネットが欲しかった。モーグIIIは無理としても。