2011年2月4日金曜日

かけざん(1): あえて火中の地雷を踏む?

さて,再開第一弾。blogをしばらく,というか長い間休んでたのは,もう面倒くさくなったからではないか,と思われる方もいらっしゃるだろうが,その通りです。しかし,毎日生きていると,「ああ,これなんかblogに書くと面白そうな話題だな」ということがひと月に何回かはあって,でも「最近書いてないし,また再開しても続かないだろうし」などと思っているうちにずるずると日が過ぎていったわけであるが,この心理は常連で足しげく通っていた店にしばらく行かなくなると,行きづらくなるのに似ているかもしれない。で,今回再開して,そいういう話題のひとつから始めようと思う。

少し前から,twitter等で小学校で掛け算を教えるときに順序を気にすべきか,という論争が続いている。聞くところによると,1970代からある古い話題そうだ。詳しくは「掛け算+順序」などで検索していただくとして,しかし,そうしてヒットする文献は激しく膨大なので,超要約すると,掛け算はどっちをさきに掛けても同じ演算なので,順序を気にするべからずという可換陣営と,いやいや掛けられる数の対応するものを見ると,質が違うものなので,気安く掛け算の順序を換えるべからず,という非可換陣営の論争である。いや,長い論争を全部読んだわけではないので(というか,ごく一部しかみてない),ナカムラは全貌を把握しているわけではない。議論の本質はそんなことじゃない,というむきもあるかもしれないが,以下ではこの論争のそういう側面について考える。

これは,なかなか興味深い論争だと思う。たとえば,911陰謀説とか,ホメオパシー論争とかのように,片一方がまったくのパッパラパーで相手の言うことに聞く耳持たぬ,というのとは違って,双方とも聡明で理性的なひとたちが,延々と論争をしていて,それでも決着がつかないという状況ではかろうか。ナカムラはどちらかというと可換派の肩をもちたいが,非可換派の主張もよく考えられていて,たとえば,こういう先生に習ったなら,たとえ非可換派の主張が間違えていたとしても,生徒達は勉強になるだろうな,とも思う。

なので,ナカムラは,この長い論争にあえて参戦して火中の地雷を踏む気はない。以下では,この掛け算論争の構造をみていくことで,日頃ナカムラが思っている数と現実の対応関係を考えてみようというのである。

もともと数というのは,ある演算規則 -- 具体的には加減乗除 -- を満たす抽象的概念として,人間の頭のなかにあり,それを現実問題にうまく対応させると便利な道具として使えるというものだ,とナカムラは考える(そうでない立場もあるそうな)。1 + 1 = 2,2 × 3 = 6というような四則演算の規則を決めておいて,たとえば200mlの水と350mlの水がべつべつの容器に入っているとき,ひとつの容器にまとめてみなくても,あわせて550mlあることが計算によってわかる。 つまり,「ひとつの容器にまとめる」という操作を,足し算という演算におきかえると,現実を予測できるわけである。このへんの事情は以前に書いたことがあるが,むやみに長いわりには情報量が少ないので,娯楽として暇なかた限定でお読みください。

この現実と演算の対応は自明ではなく,そのつど現実を観察して決めてやらなくてはならない。たとえば,さきほどの体積の場合は足し算は有効だが,温度の場合はそうはいかない。40℃の湯と20℃の水をまぜても,60℃にはならないでしょ? また,現実と演算がうまく対応している場合でも,その対応の仕方はひととおりではなく,いろいろな状況が考えられる。で,上でのべた演算順序論争は,このあたりの事情を明確にするいい題材だと思う。

思うに掛け算というものは数学的演算としての文句なく可換だが,それを適用する現実の「可換性」とは別に考えなくてはならないのではなかろうか。はじめに,多分両陣営のどちらも合意するであろう,足し算の可換性から考えよう。つまり 3 + 2 を 2 + 3 と書いても文句をいう人は少なかろう(でも,以下にみるようにこれも場合によっては問題あり)。数学的演算としては 3 + 2 = 2 + 3 で,これはまったく問題ない。

で,たとえばこれを適用できる現実の問題として,「部屋に男の子が3人と女の子が2人います。合計で何人でしょう?」というような例が考えられる。「当然,男が先になるべきだ」というようなハイパーセクシストでない限り,どちらを先にしても文句は出まい。これは,あつかっているのが人間の数であり,男も女も(ハイパーセクシスト以外には)同質のものと考えられるからだ。この,「同質のものだからどっちが先でもいいじゃん」という状況を,果たして可換という数学用語で表現していいのか,という疑問は残る。そこで,ここではこの現実の可換性については「可換」というように括弧つきで表記しよう。

それに対して,問題になっているのは掛け算の 2 x 3 = 3 x 2 である。たとえば,「耳がふたつのうさぎが3羽いたら耳はいくつか?」という問題で,非可換陣営は数学的演算としては可換だが,実際問題として,うさぎの耳とうさぎの数は別物なので,小学生に教えるには,その違いをはっきりさせておかなくては,と主張しているのであろう。これには一理あるような気もするが,ちと無理もあるような気もする。たとえば,よく指摘されているように,うさぎさんの耳ではなくて「縦 3cm 横 2cm の長方形の面積は?」みたいな問題だと,空間が回転に対して対称である限り,どちらを先にしても問題なかろう。つまり現実も「可換」なわけだ。

しかし足し算だって,「非可換」な現実を考えることができる。たとえば「3月の2ヶ月後は何月でしょう?」という問題である。この場合,3 と 2 に対応する現実はあきらかに異質なものだ。英語にしてみると前者は March,後者は two months になることからも明白だろう。

そう考えると,掛け算の「非可換性」は掛け算という数学的演算そのものの性質ではなく,それを応用する現実によるものであることがわかる。足し算も掛け算も,対応する現実は「可換」だったり「非可換」だったりするのだが,足し算だと「可換」な場合が,掛け算だと「非可換」な場合が圧倒的に多いので,なんとなく掛け算は順序をちゃんと考えなくちゃね,みたいな話になるのではなかろうか。となると,非可換陣営はちと旗色悪い。しかし,もちろん,具体的にうさぎの問題を解いてる時は,数式も非可換にすべきだ,という主張はできる。でも,その場合は上で考えたようなことを延々と説明せねばならぬので,小学生に教えるときはどうかなあ,とは思う。

そこで,ここからが本題。われわれは「掛け算」というと,ただ一種類に決まる操作のように考えがちだが,実は現実問題への対応としてはいく種類もあるものではなかろうか? これは掛け算に限らず,足し算だとか数そのものだとか,数学であつかういろいろな要素が実は微妙に違う現実問題をあつかう微妙に違う構造なのだが,普通に使っている数の体系があまりにうまく種々の現実に適用できるため,それに気がついてないのではないかと思われる。

というあたりで,ちと長くなりすぎたので,続きは次回へ。次回の文章はまだ書いてないので,いつになるかわからんが,のんびりとお待ちください。

3 件のコメント:

  1. ちと話題がずれて恐縮ですが

    足し算と掛け算が混ざってきたとき、

    ax + ay = a(x+y)

    こんな感じに( )でまとめるというのを、今なら中2くらい(?)で教わります

    bx + by = b(x+y) だし

    fx + fy = f(x+y) でいいでしょう

    どの文字は使っちゃだめ、とか言われなかったです

    しかし、しばらく経つと、同じかっこ( )を、「関数」にもつかいます

    f(x)

    前にならったルールから言えば、f かける xなのに

    「xという原料を入れたら結果として出てくる値」に意味が変わってます

    関数から数学嫌いになる人は多いようで、ここから勉強しなくなり、
    それ以前に覚えたルールしか体の中に残っていないため、このままいくと

    f(x+dx) - f(x) = f(dx) とやってしまいます。

    中2で習った方式で考えれば「あり」ですが、f( ) を関数として考えると「まちがい」です。

    お利口な学生は

    aとかbとかcとか がでてきたらだいたい「定数」で
    fとかgとかhとか がでてきたらだいたい「関数」

    ということを 「なんとなく雰囲気で」会得してきてますが、
    純朴な子と機械はそれができないです。

    機械のほうは、掛け算には必ずオペランド*が必要、とか
    関数は使う前に必ず定義する、とか
    出題者側が配慮してくれることになってますが、
    人間の学生のほうはそういう拝領はしてもらってなくて辛い状況にあります。

    ファインマン本には、彼がは、高校生の時

    sin x という書き方は s かける i かける n かける x みたいで気持ち悪いから
    自分で独自にsinを表す記号を作って使ってた

    という話が出ており、ひょえーそこまで厳密に、、と思ったものでしたが

    f(x)+g(x) を (f+g)xとかいて 何でダメなのと悩む学生をみると
    案外切実なことだったかもしれないなあと思うようになりました

    数学の記述は厳密で、かなり完璧なもの、と
    自分が学生の頃は思ってましたが、経験とか習慣に頼ってるとこもあるかなあと。どうにかしてもらえないものかなあ

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  2. 拝領でなくて配慮
    拝領してどうするよ

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  3. > f(x)+g(x) を (f+g)xとかいて 何でダメなのと悩む学生をみると
    > 案外切実なことだったかもしれないなあと思うようになりました

    ラプラス変換だったか、「誰それの演算子法」だったか忘却の彼方なんですが、ありましたよ、 f(x)+g(x) = (f+g)x とやっていく計算が。

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