2014年1月10日金曜日

われわれは21世紀を生きているのか?

21世紀といえば Schizoid Man だが(一部のひと以外には意味不明なので無視してください),われわれの生きているこの世紀は本当に21世紀なのだろうか? いや,本当に21世紀であって悪くはないのだが,1900年代が20世紀で2000年代が21世紀って,ちょっとすわりがわるくないですか? 実はこれはゼロ世紀というものが存在しなくて,紀元1世紀の前は紀元前1世紀だからである。さらになぜゼロ世紀がないかというと,紀元ゼロ年というのがなくて,紀元1年の前がいきなり紀元前1年になっているからである。本来ならば紀元0年から99年までをゼロ世紀,100年から199年までを1世紀,というぐあいに決めていれば2000年代の現在は21世紀ではなく,20世紀になっって合理的だったはずである。そうすればグレッグ・レイクは「Twentieth Century Schizoid Man!」と歌っていたはずだ,一拍余るけど。

しかし,西暦が考えだされたときは「ゼロ」という概念がなかったので,いまわれわれが使っているような,ちとおかしいシステムになってしまったわけである。たとえば,「西暦3年の5年前は?」と言ったときに 3 - 5 = -2 で紀元前2年になるかと思えば,ゼロがないので紀元前3年なわけである。(ところで,Wikipediaをみてみると,西暦ができてから,紀元前という考え方が広まるまではずいぶんと時間がかかったのですね。)

それは数学的にまちがっておる,ちゃんとゼロ年をもうけて,今が21世紀になるように修正すべきだ,そして今年は2013年になるべきである,と考えるのはあながち間違いではないかもしれない。しかし年号のシステムを変更するというのは多大な労力と混乱をともなうし,一部の歴史学者以外は紀元後と紀元前をまたぐ年数計算なんてほとんどしないだろうから,それほど不便ではなかろう,ということで今は21世紀になっているのだと思う。こういうのは結構あって,たとえば時間を12進法と60進法のごちゃまぜで使うのではなく,10進法にすればすっきりするのだが,まあ,今のままでも不便ないのでよかろうということで使っている。

ところで,上で「数学的に間違っておる」と書いたが,それは本当だろうか。「3 - 5 が -2にならないのなら,あきらかに間違いだろう」という前にちょっと考えてみよう。計算法則というのは,3 - 5 = -2 となるものだけに限られるのだろうか? いや,そんなことは全く無い。上ででてきた時間なんかがいい例で,たとえば午前3時の5時間前はマイナス2時かというと,そうではなくて10時である,つまり 3 - 5 = 10 という計算法則を使っているわけだ。

そもそも,数というものは現実の諸問題に適用して生活を便利にしようということから開発された抽象概念であり(これについてお暇なかたは末尾にリンクのある以前の文章などごらんください,いちばん下のやつ),適用する対象によって,ちがう計算法則が用いられても不思議はない。必要なのはだれがいつやっても同じ結果になることと,その計算法則内で矛盾がないことだけである(と思う,他にあるかな?)。

だから,西暦も「プラス1の前がマイナス1で,プラスマイナスをまたいで引き算するときは結果に1を足して」みたいな計算法則をもった数と考えることができる。「数」というのを学校でならう整数とか実数とか以外に使うのに抵抗があるなら「数学的構造」とでも呼んでおけばいい。実際,曜日の月火水…などは数と認識せずに使っているが,それなりに演算規則をもってる数学的構造とみることもできる気がする。下にリンクした文章にも書いたが,月の名前を日本では1月,2月というぐあいに数であらわすが,英語ではJan,Febというぐあいに専用の単語があったりする。しかし,Aug - Jan = 7 という具合に明確な演算規則が存在するので,これも数または数学的構想と言ってよかろう。

ということで,この話題を書き始めるとたくさんネタがあるので,続きはまたいずれ。しかし前回も同じようなこと書いて終わってたなあ。

今回の話に関係ありそうな,前に書いた記事など

うーむ。この手の話題をはじめに書いたのは10年以上も前になるのか。


最後に,今日の話題に関係あるようでないようなトリビアをひとつ。知ってた?

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