2011年3月28日月曜日

「『相対性理論はやはり間違っていた!』はやはり間違っていた!」は間違っていたのか?

なんかトゲアリトゲナシトゲトゲみたいな展開になってきたが,実はかなり以前に前のblogに「相対性理論はやはり間違っていた!」という記事を書いて,ちょっとしたパラドックスを紹介した。で,このパラドックスの謎解きを「『相対性理論はやはり間違っていた!』はやはり間違っていた!」という記事に書いたのであるが,最近,その記事に「みょ〜ん」という方がコメントをしていただいていた。しかし,熱しやすく冷めやすいナカムラは,古いblogのほうをチェックしていなかったので,コメントをそのまま放置してしまっていた。みょ〜んさん,すみません。

で,最近になってこちらのblogにコメントをいただいたので,やっと気づいたわけだが,なかなか含蓄の深いご指摘であるので,みなさんに紹介しようと思って新しく記事を書く次第である。みょ〜んさんの指摘についてはこちらの四つめ以降のコメントを読んでください。

で,ナカムラが理解したところによると,「こいつは『加速』という概念がローレンツ不変であると勘違いしとるが,棒の総エネルギー・運動量から速度を計算すると,ある系では加速しており,別の系では加速してないというのもありうるのではないか?」ということだと思う。これは,まことにもってその通りで,ある意味ではこのパラドックスの本質をついていると思う。駄菓子菓子,ナカムラはそのことについて勘違いしてるわけではなくて,むしろそれが本質であることは重々承知しております。

みょ〜んさんの3月25日のコメントにある「みょ〜んの2質点モデル」では,同時刻での二つの質点のエネルギー・運動量の和が変化したことを「加速した」と判断していると思うが,系が違うと「同時刻」が違ってくるので,加速されたかどうかが違ってくるのは当然であろう。それに対して,ナカムラのもとの話の棒の場合,完全な剛体はないにしても,棒の変形が十分無視できるくらい小さい状況は考えることができるわけで,そうすると棒の速度は棒上のどこか一点(たとえば左端)とかの運動で直接的に決まり,そうすると加速されたかどうかは系によらずに決まる。

思うに,このパラドックスの本質は「空間的にはなれた場所での示量的な量の和は,系によって和をとる時刻が違う」ということにあるのであって,それを「棒は加速されていないのにエネルギー・運動量が変化している」と言うか「実は系によっては加速されている」と言うかは加速をどう定義するかだろう。で,普通は棒の加速というと,どこか棒上の一点の位置の時間変化から計算するんだと思うんだけど,いかがですか,みょ〜んさんほかみなさま?

ちなみに,実は,この「系によって和をとる時刻が違う」という問題は,相対論ができてからすぐに指摘されているにもかかわらず,いまだにいろいろなところで勘違いされている。たとえば,ランダウの「場の古典論」の質点系の総角運動量の式なんか間違っていると記憶する(…のだが,いま,手元にないのでひょっとしたら記憶違いかも)。

ともかく,みょ〜んさんはコメントありがとうございました。長い間放置して失礼しました。

15 件のコメント:

  1. みょ~ん2011/03/29 9:55

    参考までに。発端となったサイトを。その他のジャンク情報のurlはお気に入りに入れてなかったので、分からなくなりました。このコメント(もちろん、他のコメントでも)必用ない、と思われましたら、削除お願いいたします。

    この「通りすがりM」が私で、この時点では、相対性理論に剛体の物体は存在しない、と思い込んでいる。
    http://www32.ocn.ne.jp/~gaido/fusigi/hikari.htm
    その後「この思い込みは正しいか?」と、検索しはじめた。

    返信削除
  2. 無礼だなんてとんでもないです。貴重な指摘,ありがとうございました。また,面白い話があったら教えてください。

    相対性理論は(というか物理一般は)われわれ,物理で飯を食ってる人間でも勘違いすることがおおいので,一般の啓蒙書だとなおさらです。実は専門の教科書なんかにも結構勘違いがあります。専門外なのにこういうことに気づかれるみょ〜んさんの慧眼には感服しました。

    返信削除
  3. みょ~ん2011/03/31 13:21

    申し訳ございません。
    どうも、専門家様に注目された、ということで、有頂天になってしまったようです。
    本来でしたら、私の専門でも、リーマン幾何学等、物理の基礎で使われる数学は必須科目ですが、できないまま(何故卒業できたのか、わかりませんが)年数がたってしまったのです。
    荒らしになりますので、これで退場させていただきます。

    返信削除
  4. いや,荒らしなんてとんでもないです。楽しく読ませていただきました。ただ,blogをそれほど頻繁にはメンテナンスしてないので,お返事が遅れてすみません。

    中村の知るところでは「重心」という概念は相対論では系によって違ってくるため,相対論の専門家(多分中村は含まれない)はあまり重要視しないみたいです。

    またなにか面白いアイデアがあったら教えてください。

    返信削除
  5. みょ〜んさま,

    独断でいくつかコメントを消しましたが,深い意味はありません。ほかにも消したらいいのがあったら,メールでもください。でも,コメントいただいて感謝してます。また気軽に書き込んでください。

    返信削除
  6. みょ~ん2011/04/02 23:33

    棒の左端の固有加速度というのは、あくまで、左端の微小部分の加速度を表すだけだ。「棒全体の加速度」という場合、慣性系によって同時性が違うので、慣性系に依存する形でしか定義できない。と思い込んでいました。そこが間違っていたわけですね。どうも、ご迷惑をおかけしました。すみません。

    返信削除
  7. ちとコメントを整理しました。もっと要望があったらお知らせください。

    返信削除
  8. みょ~ん2011/06/25 20:29

    皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。
    ここに顔を出せる状況ではないのですが、回答編でのたざき様の「棒に根性がない場合は~押しはじめから考えないといけない」趣旨の発言がどうしても引っかかりまして。

    相対性理論はそんなヤワな理論だろうか? 物理学者が「有限の大きさの物体の加速が定義できる」と言う場合は、平衡状態にあろうがなかろうがそんなことに依存せずに定義されているはずではないだろうか?

    ところで、話に入る前に、以下のことは当たり前のことだ、と言及しなかったのですがよろしいでしょうか?

    ・話を棒の右端の加速に限った場合、「左手を離す」という事象と「右手を離す」という事象には因果関係がない(空間的)ので、S'で先に左手が離れた場合でも、それが右端の加速の原因になることはあり得ない。従って「『そのうち動き出す』とは言っても、『そのうち』がくる前に右手を離すことになる」とか「棒の右半分は左側で手が離されたことを『知らない』ので、棒は右手の力と釣り合う力で手を押すので合力0となり、加速しない」など、説明を工夫すれば啓蒙書レベルで説明可能である。

    素人の私に分からなかったことは「しかし、『棒の右端の加速』と『棒の加速』は別の概念ではないか? 何故、ここの人々はこのふたつを混同するような議論をしているのだ?」ということで、そこで乱心してしまいました。

    棒に根性がない場合というのは、両手を離す直前でも、棒を押す力と棒が手を押し返す力が釣り合っていないため、右端は(SでもS'でも)加速運動しているわけですが、だからといって、棒は加速していると言い切るわけにはいかないわけです。何故なら、棒の変形が無視できないから。とはいえ、同時性の相対性によって、棒の1点をとってその加速を棒の加速とすることは外せません。
    だから、変形が無視できない場合でも棒の加速を代表する点のとり方を定義すればいいわけです。

    そしてそれは出来ると思います(あくまで大域的な座標系が使える平坦な時空に限っての話ですが)。要請は。
    (1) 棒を剛体と見なしてかまわない状況では、この棒の任意の1点をとる操作に一致していること。
    (2) 棒全体があたかも質点とみなせるような巨大なスケールでは、この方法で測った加速度が通常の意味の質点の加速度に一致すること。
    でしょう。

    そもそも、物体の変形は系に依存するので、剛体の定義を最初にしなければいけないでしょう。

    [定義] 伴走系から見て変形しない物体を剛体と呼ぶ。

    伴走系(静止系と呼ぶことが多いようですが、紛らわしいのでこの名前を使います)の定義が啓蒙書に書いてないのですが、たぶん、棒の3元運動量と角運動量が0に見える座標系だと思います。まだテンソルをきちんと理解していないので、角運動量は無視します(この問題には回転が含まれていないから)。

    定義によって、物体が剛体とみなせる場合、その任意の1点をとると、伴走系から見た場合、その点は必ず静止しています。

    ところが「伴走系から見て静止している点をとる」という操作は、物体が剛体と見なせるか否かに関係なく定義できて、(1)(2)を満たすでしょう。

    この考えが正しければ、根性がない棒の場合に棒が加速しているか否か?は、押し始めから考えなくとも、伴走系から見て静止している任意の点をとって、その点が加速しているかどうかを調べれば分かるはずです。

    幸運なことに、この問題での棒の伴走系はSであることが分かっています。そして、Sは慣性系です。ある慣性系から見て静止している点は、どの慣性系から見ても加速するわけがありませんから、棒は加速していない、という答えが出せます。

    棒が変形する場合、棒が質点と見えるような巨大なスケールでは、たぶん、棒の変形の運動エネルギーは熱エネルギーの一種として質点の質量に加算されると思います。

    返信削除
  9. みょ~ん2011/06/26 22:01

    あ、棒に根性がない場合でも、押し始めから考える必要はない、というのは、「棒が加速するか否か」の問題についてです。
    S'で、棒の速度は変わらないが運動量・質量が増える話は、何となく、根性がある棒の場合でも押し始めから考えるべきのような気がします。

    S'でなく、Sで実際に棒の質量が増えるかどうか?をまず考えます。押し始めから平衡状態に達するまでは、両手は仕事をしていますから、その分のエネルギーが棒に注入されます。それは棒の静止エネルギーとして換算されるので、質量は増えます。

    しかし、平衡状態に達した後は腕は、x軸方向への圧力を中和するだけで、仕事をしていないので、これ以上棒の質量は増えないような気がします。
    Sでは棒のエネルギーのみが増えましたが、S'では運動量も変化するのだと思います。

    平衡状態に達した後での手の力が、何故、棒の運動量やエネルギー変化に貢献しないかというと、たぶん、平衡状態では、右手から棒に運動量を注入しても、棒も手を押し返すため、棒からも右手に運老量が流失します。力が釣り合っているので、力積も釣り合い、平均すると、運動量の流れが差し引き0になってしまうような気がします。従って、平衡状態から考え始めると、フラックス(イメージとしては、棒を輪切りにするような仮想的な面を考え、その面を流れる単位面積当たり単位時間当たりの運動量の流れ、のようなものでしょうか?)Jが、最初から0になる気がします。

    返信削除
  10. みょ~ん2011/07/01 20:53

    あの。本当にすみませんが、まさかと思うのですが。
    この問題で、棒が剛体だ、というのはジョーク(ひっかけ)ですよね? 棒が剛体と見なせるのは、例えばL/cが非常に小さいので0と見なしても誤差は無視できる場合などと思ってたので。この設定では、棒が剛体だと仮定すると、最悪、因果律がやぶられるなどの矛盾がどうしてもので

    (*) この棒は、必ず変形する(この棒を剛体と見なすことはできない)

    が前提にありますよね? 私も、この状況では棒の変形は無視できるわけがないから「棒の加速」と「棒の右端の加速」は別物になるはずだ、と悩んだわけで・・・。

    返信削除
  11. みょ~ん2011/07/12 23:02

    このコメントだけは読んでください。
    何故、あれだけ大騒ぎして皆に迷惑をかけたのに、図々しくもみょ~んの名前でコメントを書くか、というと。
    回答編の
    >つまり、棒は S ' で一定の速度で動いているのだが、質量の変化分だけ運動量が変わるのである。
    の部分が納得いかないからです。

    これでは、S'で右手だけで押されている時間の運動量の行方を質量の変化で説明しようとしているように読めるのですが。
    私は、勘違いして、S'での運動量とエネルギーの変化から速度を割り出したところそれは変化している、と判断する過ちを犯しました。それならば、S'での運動量とエネルギーの変化から質量の変化が本当にあるかどうか確認するべきではないでしょうか?

    実際、棒の質量が変化する場合もありますが、変化しない場合も考えられると思います。そして、変化しない場合がこのパラドックスの一番面白い部分ではないでしょうか。

    剛体の議論は棚上げしても、棒が剛体でなかったとしても、両手の力と応力が釣り合った状態から始めれば棒は変形しないと考えられます。(両手を離した後に棒が延びるかもしれませんが。)
    質点の質量というのが静止質量を意味するのと同じく、棒の質量というときは、伴走系であるSで測った値を使うことになります。すると、両手は仕事をしていないので、棒のエネルギーに変化はありません。従って質量の変化もありません。力学的エネルギーで棒の質量を変えるには、棒の長さが変わらなければいけません。
    すると。

    (1) S'では、右手だけで押している時間があるので、棒の運動量・エネルギーは変化する、
    (2)棒の質量もS'から見た速度も変化しないのだから、S'から見ても棒の運動量やエネルギーは変化しない、
    という状況になります。

    一見どう見ても矛盾に見えます。
    ここで、S'にとって静止している観測者を考えます。
    t'=0という超平面に平行な超平面で見ると、(1)が観測されます。しかし、棒の質量を測るためには、γ(t+(Vx'/c^2))=0 (VはS'のSに対するx軸方向の相対速度、γはVに関するローレンツ因子)という超平面に平行な超平面で見る必要があって、その場合は棒の運動量もエネルギーも変化しない(2)が観測されます。同じ観測者が両方観測可能なわけです。
    つまり、別の角度の超平面で見るために(1)と(2)は両立可能になると思います。

    では、棒の質量は変化しないのか?というと、どんな硬い棒でも両手で押すとわずかに縮みます。そのときに両手は仕事をするので、その分だけ棒の質量は増えると考えられます。しかし、この質量の変化は、このパラドックスとは別の問題だと思います。

    私の考えは間違っているでしょうか?

    返信削除
  12. みょーんさま,

    コメントをいただいていたのは気づいていたのですが,ちょっと時間がとれなかったので放置していて失礼しました。で,ざっと読んだだけなので,勘違いしているかもしれませんが,

    1)速度を一意に決めるのに剛体である必要はない。手を話してから十分時間がたつと,棒の各点の相対運動はゼロになるので,ひとつの速度で棒を代表できる。

    2)運動量の流れがある場合は,棒の中の総運動量はみている系によって変わる。

    3)エネルギー+運動量で4元ベクトルをなすので,Sでの運動量はS'ではエネルギーの成分をもつ。

    という説明ではダメでしょうか? 時間がとれたら,もうすこし詳しく考えてみます。(次のお返事も遅くなるかもしれません。)

    返信削除
  13. みょ~ん2011/07/18 2:10

    要するに、相対論が間違ってるとかいいたいのではなく、「このパラドックスは、もっと面白くなるのではないか?」といいたいわけです。

    キモは、啓蒙書に「質点の質量とは静止質量を意味する。同じように大きさを持った物体の質量も、その物体が静止して見える座標系で測らなければいけない」と書いてあるところです。
    このパラドックスでは、棒が静止して見える座標系はSです。だから、(啓蒙書を信じれば)棒の質量はSで測らなければいけないことになります。
    そうすると、Sでは棒のエネルギー(質量)が変化しないのに、S'では必ず変化する状況は簡単に作れます。
    これはおかしいじゃないか?責任者出て来い!という話になると思います。

    返信削除
  14. みょ~ん2011/07/24 12:39

    念のため、もう一度繰り返します。

    このパラドックスの問題は、S'では右手だけが棒を押している時間があるので、その運動量の行方はどうなるのか?ということです。S'でのその運動量にはエネルギー変化も含まれることは承知しています。

    で、私の言いたいことは、棒が塑性体(?)のような場合ならば、質量の変化で説明できるかもしれないが、

    (*) Sから見て、棒を離す前に、充分な時間、両手が静止していた場合は、両手が仕事をしていないので、棒のエネルギー変化はあり得ないのではないか?(もちろん、手を離した後は外力がなくなるので、エネルギー変化はない)

    という、高校物理に毛がはえた程度の理屈で反論しているわけです。棒の伴走系(この場合はS)から見て棒のエネルギー変化がないのならば、質量の変化はないはずです。
    従って、この場合は、幻の運動量の行方を質量の変化に帰着することはできないのではないか、ということです。

    返信削除
  15. Yahoo!知恵袋にこのパラドックスが紹介されているようです。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1078220680

    このパラドックスは「同時の相対性」+「剛体とみなしてはいけない物体を剛体とみなすと矛盾する」という2つの引っ掛けどころを持った、秀逸なパラドックスだと思います。

    問題提示でありました「この棒が剛体であるかどうかに関係ない」という部分は違うと思います。この棒が剛体ではありえない(必ず変形する)ことがミソだからです。

    棒が剛体とみなせる場合は、この棒が加速するかしないかはどの慣性系で見ても変わりませんが、外力を受けながら変形する場合はそうとは限りません。

    S'では右手だけが押している時間がある以上、S'ではなんらかの意味で加速が観測されなければなりません。それでいてSで棒が加速されないことと矛盾しないためには、棒は変形しなければなりません。
    この変形は棒の右側では起こりませんが、左側で起こります。従って、問題の力積は、右手で棒を押したから、ではなく、左手が棒を離したから、発生します。

    なお、回答編の計算では、右手の力だけに着目すれば成り立ちますが、Sで棒が動かないのは両手で押しているためですから、左手からの流れも併せなければならず、そのときのフラクションJ0は、最初からJ0=0となってしまいます。

    返信削除